執筆者 orior | 2025年09月23日 | 雑記帳
聖書にも書かれている終末論が、現代で成就されるのではないかと言う話題が、SNSでも賑やかになっています。そうした中で、携挙(けいきょ)は、「キリストが再臨する際に、信者が肉体そのまま、または復活の体を与えられて天に引き上げられる出来事」を意味します。「携挙によって地上からはクリスチャンが姿を消し、未信者だけが残される」と信じている方々が世界中に結構な人数いらっしゃいます。この出来事は、聖書の『1テサロニケ4章』などに言及されており、その基準は「キリストを信じているかどうかだ」とされています。こうした考え方は、古今東西、様々な宗教や団体...
執筆者 orior | 2025年09月22日 | 雑記帳
「長考に好手なし」とは、将棋などの戦略ゲームにおいて、長い時間考え込んだ末に指した手は、良い手になりにくいという格言です。じっくり考え込んで行うことは、一考すると最善の手を探すために有効な手段のように思えますが、実際には迷いや焦りから、本来の力を発揮できなくなることが多いという経験則を表しています。また、こうしたことから「直感」で行動した方が良いのではないかと言う考え方も出てきます。危険に対して熟考していたのでは、命が幾つあっても足りません。それ故に、大脳基底核と言う運動制御、習慣形成、意思決定に関与している部分がフル稼働して、自分自...
執筆者 orior | 2025年09月21日 | 本当の終活
経営の神様と言われた松下幸之助氏は、その著書のなかで「人間には、信仰の本能がある。」と述べています。彼の言う「信仰の本能」とは、一体どういう事を指すのでしょう。世界各地には、様々な民族が色々な歴史観、宗教を持ちながら生きています。その共通するところは「人間は生まれつき、何か偉大なるもの、いわゆるサムシング・グレートを信じる心を持っている。そう言う本能を持っている。」と言えるのではないかという考え方もあるのです。要するに、子供が親を信じ敬うように「自分の創り主、あるいは生みの親は誰であるか?」ということを求め、それに憧れる気持ちが人間の...
執筆者 orior | 2025年09月20日 | 雑記帳
現代社会は、言論の自由に基づく権利の行使によって、権力者の首をすげ替える事ができる「永久革命」の社会ではありますが、「言論の質のチェックはどのようにするのか?」という問題は残っています。言論機関の権力については、日本国憲法には何ら規定されていません。「言論機関、報道機関はどれだけの権力が保障されているのか」ということについては、明記されていないが為に、今のところ無制限の状態になっています。「真理という観点から見たときに、報道の姿勢や言論の方向は正しいのかどうか?」という事については野放し状態です。教育は、そうした言論や学問の方向性の下...
執筆者 orior | 2025年09月19日 | 本当の終活
アリストテレスは「人間は幸福を目的とする」と言いましたが、幸福になる為には、色々な行動、言動、活動に対して、自由が与えられなければなりません。同じ様に、チャンスも平等に与えられなからば、幸福になる機会が偏ってしまいます。例えば、学校を選択する自由、意見を発表する自由、職業を選べる自由、どこへでも移動できる自由などがなければ、私達は籠の中の鳥達の様な、制限された自由とチャンスのみになってしまいます。当然、幸福も限られたものにならざるを得ないでしょう。チャンスが平等になされたら、その結果においても公平でなければいけません。「チャンスが平等...