執筆者 orior | 2025年10月02日 | 雑記帳
講演会やセミナーとかに参加される方はご存知かと思いますが、質疑応答が可能なイベントは、その規模が大きくなればなるほど少なくなります。それは、聴衆が増えれば増えるほど、予測不能な質問が飛び出す危険性が増すから、主催者側はたまらなく成るからです。だから講師の中にはスタッフに頼んで「事前に質問内容を私に伝えるように」と用意をしておく方もいらっしゃったりします。あらかじめ質問内容が分かっていれば、現場でアタフタしなくて済むし、講師もしっかりと答えられるので、聴講者の印象も良くなります。しかし、こうした事をしているようでは、講師も講義内容も成長...
執筆者 orior | 2025年10月01日 | 雑記帳
現在では「聖徳太子は実在の人物ではなかった」などという学者が出て来るほど、左翼化してしまっている日本ですが、本当に聖徳太子は居なかったのでしょうか?西暦600年頃に聖徳太子が隋の煬帝に宛てて国書を送りました。この時に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや」と書いたとされています。この書を見た煬帝は怒って国書を破り、焼き捨てようとしたらしいのですが、部下に諌められたので、いまだにその顛末を書いたものが残っていたようです。聖徳太子は「憲法一七条や冠位十二階制度を制定したり、その他の様々な改革を行った」とされていますが、今...
執筆者 orior | 2025年09月30日 | 雑記帳
中国には「木鶏」という話が今でも語り継がれています。それはこんなお話です…鶏同士を戦わせる闘鶏という競技があり、その鶏達を育てる闘鶏士という役職もありました。ある時、王様が良い鶏が手に入ったということで闘鶏士に鶏を預けました。そして10日ほど経ったので、王様が「そろそろ闘わせても良いのではないか?」と問うと「いや、まだダメです。自分の力を誇示するようなところがあるから、闘鶏に出すにはまだ早い。」と闘鶏士に言われます。また10日後に訊くと、今度は「まだまだ気負いがあって、自分が強いと思っているようだからダメです。」と言われました。更に日...
執筆者 orior | 2025年09月28日 | 雑記帳
「奈良の鹿が可愛い」と、外国の方々にも大人気ですが、何故鹿が境内に放たれているのかご存知の方は少ないようです。これは、お釈迦様の初転法輪の逸話から来ていると言われております。インドの山奥で、難行苦行しても悟れなかったお釈迦様は、山から降りてとある村で、痩せ衰えた身体を休めていました。そこへスジャータと言う村娘が、お釈迦様にミルク粥を供養しました。それにより「難行苦行の中には、悟りはない。」と言う事に、お釈迦様は気付き「苦楽中道の悟り」を得たという事になっています。ただ、一緒に修行していた釈迦族からの従者達5人は、その姿を見て「堕落した...
執筆者 orior | 2025年09月27日 | 雑記帳
成績を残したアスリートが、良き指導者とはならないように、有名な大学を卒業したからと言って良い教師とはならないようです。こうした事案は当然皆んなが認識しているように思いますが、意外とそうではないようで「あの人はあれだけの実力者だから、きっと教えるのも上手だろう。」という事で、先生をやらせてみると「アレアレ…」というお話は、色んな所でお聞きします。有名になるという事は、特定の分野ではそれなりの実力者ではありますし、他人よりは努力精進されてきた方だとは思いますが、だからと言って「人に教えることも上手」とは限らないようです。「名選手、名監督に...
執筆者 orior | 2025年09月26日 | 雑記帳
日本の文字文化における大きな影響力があった時代として、「白村江の戦い」があげられます。白村江(はくそんこう、はくすきのえ)の戦いは、663年に朝鮮半島南西部の白村江(現在の錦江河口)で、日本・百済連合軍と唐・新羅連合軍の間で行われた海戦のことです。この戦いで日本軍は大敗を喫し、百済は滅亡、日本は朝鮮半島への足がかりを失っただけではなく、大陸文化が大波の様に押し寄せて来たのです。この敗戦を契機に、日本は唐・新羅に対して服従する様な形となり、勢いそれまで日本独自の文字体系も壊されて行きました。言ってみれば第二次世界大戦で勝った欧米列強の圧...