執筆者 西村 | 2025年06月14日 | 雑記帳
「あの人、器が小さいね」とか「器が大きいから、許せるのね」とか、「人の器」について、話すこともあるかと思います。それでは「器が大きい=悟りが高い」と言えるかと言うとどうでしょう。だいぶリンクしている感じはしますが、全く「同一」とは言えない気がします。そもそも「悟りってなに?」のところから考えて行かないといけませんが、私のブログをお読みいただいている方には言うまでもないかも知れませんね。私は「悟りの高さ=真理の豊富さ」と定義付ける事が出来るかと思ってます。真理とは「普遍的な宇宙の法則」と言い換えることも出来るでしょう。つまり悟りの高さと...
執筆者 西村 | 2025年06月13日 | 雑記帳
稲盛和夫さんの塾では「お疲れ様ではなく、お元気様」を厳守していたと聞いたことがあります。これは「お疲れ様」の「お疲れ」が、否定的なイメージに感じる事から来ているからかも知れません。先ず最初にお伝えしなければならないのは、漢字は外来語なので、同じ発音をしている言葉を区別するために、漢字を当てたと言う歴史的事実があると言う事を誓いしておかなければいけないと思います。一休和尚の話にも出て来ましたが、「このはし、渡るべからず」と看板がある橋を、どうやって渡るのかが逸話にもなりました。「はし」を橋と捉えるか、端と捉えるかが、このトンチの答えとな...
執筆者 西村 | 2025年06月10日 | 雑記帳
歴史上の偉業を成し遂げた偉人賢人達は皆んな、胆力を持ち合わせていました。「達成するためには自らの命も厭わない!」と言う想いで、何事かを成して来たからこそ、偉人賢人なのでしょう。普通の人は、仕事でも趣味でも、命を賭けてまでは出来ません。いや口では「命をかけてやっている」そう言う人もいるでしょうが、本当のところは如何でしょうか…「そうは見えないけれど」と言う方が多いのではないでしょうか。胆力を鍛えるには、何か一つのことに集中して、他の人から見ても「そこまで行くには、沢山の努力をしたんでしょうね。」と言われるくらいまで、極めた「何か」がある...
執筆者 西村 | 2025年06月06日 | 雑記帳
「どんな人を美人と言うの?」と娘に聞かれた事があります。その時、娘は10歳だったので、難しい事を言っても分からないかと思い「自分の良いところを自分で知っていて、それをセンスで表現している人のことだよ。」と教えてあげました。娘は、分かったような分からないような複雑な顔をして「ふ〜ん、わかったかも。」と言ってました。正直言って美人かどうかなんて、誰かが決めるものでも無いし、投票して票が多い人が美人で、少ない人がそうじゃないとも言えないので、本当に主観的な評価だと思います。ただ感相学的に言うと(今回は顔だけにスポットを当てますが)「均一性と...
執筆者 西村 | 2025年06月04日 | 雑記帳
人を好きになって「胸が熱くなって鼓動が激しくなった」と言う経験は、皆様もあるかと思います。(笑)これは「愛」と言う感情が、心臓とリンクしているからです。自分の事を深く見つめたり、反省する時には、お腹の辺り丹田(みぞおち辺り)で考えている事が多いと言われています。「考えているんだから頭だろ。」と言われそうですが、瞑想やヨガなどで「丹田のところまで意識を降ろしなさい。」などと言われるのは、人は理性的、知性的に考えようとすると、頭(後頭部や脳の側頭葉に辺り)が活発になるので「感性や悟性で感情をコントロールする時にはお腹辺りで想った方が良い。...
執筆者 西村 | 2025年05月31日 | 雑記帳
30代までの方で、優秀で有能な人になりたい人は、自分自身が「利己的人間であるか。利他的人間であるか。」が、大きな分かれ道になるようです。利己的な生き方だけで行こうとする人は、「家族を養い育てる」と「自分がやっている仕事への責任」くらいで終わってしまいますが、利他的な人は、更にもっともっと自己拡大していく必要性を感じ、様々な分野の勉強や経験をしようと自ら動いて行きます。その結果、後年、優秀で且つ有能な人財となっていることでしょう。40代、50代、60代くらいまでの方なら、自分が従事している職業においてプロフェッショナルであることは勿論で...