近江聖人(おうみせいじん)と尊敬されている中江藤樹は、今の滋賀県辺りの出身でしたが、祖父の養子となり伊代(愛媛県)の大洲に移り、藩に仕えていました。
しかし、その後「近江に残してきた、年老いた母親の面倒を見たいので、帰らせて欲しい」と願い出ます。
当時は1600年代前半(江戸の初期)でしたが、藩から許しが出なかったので、脱藩して帰郷しました。
そして近江に「藤樹書院」という私塾を開きました。
彼は感化力が強く「中江藤樹が塾を開いて教え始めると、村から泥棒が居なくなり、物がなくなったりしなくなった」と言われています。
また彼には、熊沢蕃山という弟子がいました。
この人は三日三晩、中江藤樹の家の軒下に座り続け、弟子入りを許された人です。
熊沢蕃山は岡山藩の人でしたが、藩主から「全国を回って聖人を連れてくるか、弟子入りして勉強せよ」という命令を受けて、旅していました。
そして近江の宿に泊まった時に、襖越しに隣から話し声が聞こえてきたので、それを聞いていると、どうやら馬子(人を馬に乗せて歩く人)が、「昼間自分が馬に乗せて連れてきたお客さんが、大金を馬の鞍に縛ったまま、馬を降りて宿に泊まってしまったということに気付き、その宿まで、わざわざ相当な距離を引き返し、夜中にその大金を忘れた人に届けた」という話のようでした。
それを聞いて彼は驚いてしまいます。
さらに「その馬子の村では、物がなくなったりするようなことはないのだ。なぜかと言うと、中江藤樹という偉い先生がいて、村人は皆んな、その教えに従って生活しているからだ。」という話も聞いて「これぞまさしく聖人である」と確信して、弟子入りをしに行ったということです。
熊沢蕃山はその後、本もたくさん書いていますし、かなり中江藤樹の教えを広めた方ですが、この人によって「中江藤樹」が有名になったところもあるでしょう。