私たちが生きているこの現代は、あまりにも複雑になり、自分一人の知恵と技量では、なかなか生きていけない時代となってます。
それ故に、何事にも先生や師匠的な人が必要となって来ます。
それでは、師匠と先生の違いはどこにあるのでしょう?
師匠と先生の違いを小学生に説明できますでしょうか?
学生時代においては、先生が授業で英語や国語や算数などを教えてくれます。
でも、先生のことを師匠とは言いませんよね。(言う子もいるかも知れませんが 笑)
私たち大人には、先生もいれば師匠やメンターがいたりします。(いない人も6割近くいるという統計結果もありますが)
何か専門的な事を学ぶ時に、先生はどうしても必要となります。
ピアノや絵画などの美術的な事であったり、運動競技や将基や芸事の世界であっても、先生や師匠がいます。
先生と師匠の間に明確な定義の違いがあるかと言ったら、おそらくないのかも知れません。
AIに訊いてみると「先生と師匠の決定的な違いは、指導の方法と教え手・学び手の関係性の深さにあります。 先生は体系化された知識を論理的に教え、師匠は自らの生き方や技術を体験的・直感的に伝承します。」と答えてきました。
なんとなく分かる気がしますが、何となく浅い感じもします。
「先生は技術的なこと、専門的なことを教えるに留まり、師匠は技術や専門知識に加えて、人生の道を教え伝える人」として、私は捉えています。
従って、師匠の中には先生的要素が必ずありますが、先生には師匠的要素は見られない場合もあると言うことになります。
もちろん、先生だった人が師匠になることもあれば、師匠だった人が先生扱いになってしまうこともあります。
いや、もっと言うと、弟子が師匠を超えた時に、もはや師匠は師匠とも先生とも呼べなくなってしまう時が来るかも知れないということです。
ただ、そこには大きな落とし穴が有り、「師匠を超えたと思った瞬間から、天狗人生が待っている」ということもあり得るのです。
明確な他人様からの価値基準によって、自他ともに認められる評価をされている場合は良いのですが、自分本位で「師匠を超えた」と思っている場合は危険です。
例えば、ピアノを教えていただいた師匠は世界的なコンクールなどで優勝した事などはないけれど、自分がとても有名なコンクールで優勝などしたら、技術的には師匠の技量を超えたことが明らかでしょう。
この場合は、「弟子が師匠を超えた」と言えるかもしれません。
でも、そこで弟子には選択の余地が生まれてきます。
「技術的に師匠を超えたから師弟関係を解消し離れる」か「まだ教えてもらう精神的な事があるから残る」のか、の選択です。
その時に、先生と師匠の違いが明確に分かれます。
前者は「ただのピアノの先生だった」のであり、後者は「ピアノを通しての師匠だった」のだと、自分で判断が出来るのではないかという事です。
