生きる事と死ぬ事は本来セットの筈なのに「死んで花実が咲くものか」「命あっての物種」「死んでも命がありますように」と、生きることのみが謳歌されてきました。
その為、死に対する知識や想いが親から子に伝わらず、自殺したり「誰でも良いから人を殺したかった」などと言う輩が沢山出てくるようになりました。
人生を本当の意味で生き切るには「死の知識」が、どうしても必要ではないでしょうか。
最近では「死」と言う言葉も「自殺」と言う言葉も、YouTube等では表示出来なくなったりしています。
確かに悪意を持った「死」と言う言葉は毒になる事でしょう。
しかし「真剣に生きたいからこそ、死んでから後のことを知りたい」とか「死ぬってどう言うことなのか知りたい」と言う人たちの学ぶ機会が失われているとするならば、それは大きな間違いであると思います。
「私たち人間は、死というゴールに向かって生きている」と言う事を言った有名人もいましたが、死はゴールではありません。
死は、「今世の人生の卒業」です。
卒業式に悲しみと涙がある事も事実ですが、新しい門出に向かってのお別れでもあるわけです。
私は4度、卒業し損ないましたが、それも計画されてきた事なのかも知れません。
落第すれば卒業出来ないように、この世での仕事にケジメを付けられなければ、その分長生きする事もあるのかもしれませんね。
要は「この世で反省するか、あの世で反省するか」の違いなのかもしれませんが、だったら生きているうちに反省できた方が良いと、考えるのは私だけではないかもしれません。