哲学や心理学は、どちらかと言うと宗教を否定する側に立っているようです。
特にロックやルソー、カントが活躍した1,700年代くらいには、近代思想の中に「神の存在を否定する思想」が生まれ拡がっていたように思えます。
世界的にも人口が増えて、社会全体のインフラも発展して、生活のレベルが中世以前よりも良くなり、病気で亡くなる人達が減ったことを見れば、合理思想や啓蒙思想自体は人類が数多く、より幸福に生きる為には寄与した面もあったかも知れません。
学問、教育のシステム化も、教科書やマニュアルで様々な先生から教えられることによって、拡大生産的に認識力のある人達を作ることができるようになった事も否めません。
ただ、逆に「宗教的な神秘思想の可能性を消して来た」と言う事も言えるでしょう。
仮にイエスが現代に生まれたとしても、2000年前と同じように、違う理由でやはり十字架にかかる可能性は大きいと思われます。
仮にキリストが、現代のニューヨークに生まれ変わり「我はキリストの再臨なり」と言う事で5番街で教えを説き始めても、しばらくしたら救急車か警察に連れて行かれて、精神病棟に隔離される可能性は高いでしょう。
「私の肉を喰らい、血を飲め」とか言っていたら、「この人、完全にいってしまっている」と思われることでしょう。
こうして仮にイエス様が、現代に生まれたとしても、今の人々の思想から葬られることになってしまいます。
それほどに現代は「思想に対する許容範囲が狭く」なって来ているからこそ、その反動で多様性を重視する方向性に向かおうとしているのかも知れません。