王陽明は中国の明代の儒学者で、陽明学の開祖となった方です。
思想的には朱子学を批判して、南宋の陸象山の「心即理」の説を発展させると共に、心と行いの関連について「知行合一論」を説きました。
日本では中江藤樹が、王陽明死後80年くらいしてから生まれて、日本の陽明学の開祖的な立場となりました。
1837年に大阪で起きた「大塩平八郎の乱」の首謀者である大塩平八郎は、大坂町奉行所の元与力で陽明学者でもありました。
彼はどうしても庶民が苦しむ姿を目を背けることが出来なくて、一揆的な行動に出たとされています。
更に、陽明学は横井小楠や佐久間象山にも受け継がれました。
勝海舟は幕臣だったころ「天下で恐ろしいものを2人見た。一人は横井小楠で、もう一人は西郷隆盛だ。もし、横井小楠の陽明学的な思想を、西郷隆盛がやってのけたら、幕府は倒れるぜ。」と言うようなことを回想録で言っていました。
また、吉田松陰も陽明学を学び、松下村塾で高杉晋作、伊藤博文らに大きな思想的な影響を与えました。
それほどまでに明治維新の志士たちに愛された陽明学ですが、その詳細は日本の教育現場では重要視はされていません。
「心に中に宇宙の真理がある」とする「心即理」は、現代では量子物理学理論に近いものとして物理学者も研究しております。