禅宗には、大きく分けて臨済宗と曹洞宗の二つがあります。
臨済禅は公案を重視し、曹洞禅は公案よりも坐禅そのものを重視します。
敢えて違いを明確に言うとすれば、臨済禅は「坐禅を手段として、公案を通して悟りという目的に達する。あるいは、悟りという結果を得る。」というものです。
一方、曹洞禅は極端に言えば、公案を使わないような言い方もされています。
ただ、実際は公案を使っています。
始祖である道元も、公案については随分触れているので、使っていない訳ではありません。
しかし、公案はそれほど重視していません。
曹洞禅はどちらかと言うと、坐禅そのものの方に意義を認め「坐禅以外に何か特別な目的がある訳ではない。坐禅をして何かを悟ると言う訳ではなく、坐禅そのものが悟りと一体なのだ。」という考えをとっているのです。
坐禅を手段として考えず、一種の目的として「坐禅そのものが、悟りと混然一体となった行為なのだ。」と捉え方をするのが、曹洞禅なのです。
大きくは、そう言う違いがあると言えるかと思います。
ただ、両禅は現在非常に入り乱れています。
お互いに勉強し合っているので、「どちらに重点をおいているのか」と言うくらいの違いしかないのかも知れません。
