執筆者 orior | 2025年09月26日 | 雑記帳
日本の文字文化における大きな影響力があった時代として、「白村江の戦い」があげられます。白村江(はくそんこう、はくすきのえ)の戦いは、663年に朝鮮半島南西部の白村江(現在の錦江河口)で、日本・百済連合軍と唐・新羅連合軍の間で行われた海戦のことです。この戦いで日本軍は大敗を喫し、百済は滅亡、日本は朝鮮半島への足がかりを失っただけではなく、大陸文化が大波の様に押し寄せて来たのです。この敗戦を契機に、日本は唐・新羅に対して服従する様な形となり、勢いそれまで日本独自の文字体系も壊されて行きました。言ってみれば第二次世界大戦で勝った欧米列強の圧...
執筆者 orior | 2025年09月24日 | 雑記帳
ベルギーの人類学者のレヴィ・ストロースは著者「野生の思考」の中で、「未開社会も西洋の発展した文化も、その本質においては何ら変わりない」と言うような事を言っておられます。つまり「自由な人間が主体的に行動することで、世界は変革できる」という「変革の設計図」で動いている西洋社会だけが、人間の社会ではなく、「自然のなかで自給自足をしている社会も文化文明といえるのではないか」と言う事を主張しています。確かに彼の言う「構造主義」は、人間の文化や社会現象の背後にある「普遍的な構造」を解明しようとする思想であるので、とても大切な事でしょう。また彼は、...
執筆者 orior | 2025年09月23日 | 雑記帳
聖書にも書かれている終末論が、現代で成就されるのではないかと言う話題が、SNSでも賑やかになっています。そうした中で、携挙(けいきょ)は、「キリストが再臨する際に、信者が肉体そのまま、または復活の体を与えられて天に引き上げられる出来事」を意味します。「携挙によって地上からはクリスチャンが姿を消し、未信者だけが残される」と信じている方々が世界中に結構な人数いらっしゃいます。この出来事は、聖書の『1テサロニケ4章』などに言及されており、その基準は「キリストを信じているかどうかだ」とされています。こうした考え方は、古今東西、様々な宗教や団体...
執筆者 orior | 2025年09月22日 | 雑記帳
「長考に好手なし」とは、将棋などの戦略ゲームにおいて、長い時間考え込んだ末に指した手は、良い手になりにくいという格言です。じっくり考え込んで行うことは、一考すると最善の手を探すために有効な手段のように思えますが、実際には迷いや焦りから、本来の力を発揮できなくなることが多いという経験則を表しています。また、こうしたことから「直感」で行動した方が良いのではないかと言う考え方も出てきます。危険に対して熟考していたのでは、命が幾つあっても足りません。それ故に、大脳基底核と言う運動制御、習慣形成、意思決定に関与している部分がフル稼働して、自分自...
執筆者 orior | 2025年09月20日 | 雑記帳
現代社会は、言論の自由に基づく権利の行使によって、権力者の首をすげ替える事ができる「永久革命」の社会ではありますが、「言論の質のチェックはどのようにするのか?」という問題は残っています。言論機関の権力については、日本国憲法には何ら規定されていません。「言論機関、報道機関はどれだけの権力が保障されているのか」ということについては、明記されていないが為に、今のところ無制限の状態になっています。「真理という観点から見たときに、報道の姿勢や言論の方向は正しいのかどうか?」という事については野放し状態です。教育は、そうした言論や学問の方向性の下...
執筆者 orior | 2025年09月18日 | 雑記帳
1900年代に活躍したジョージ・オーウェルの著作に「アニマル・ファーム(動物農場)」という作品があります。農場で人間に飼われている動物たちが反乱を起こす物語です。その小説で鶏は「私達雌鶏は、本当は雛を育てたいのに、毎日卵を産まされて、栄養価が高いので人間に食べられている。それだけの犠牲を払っているのに、人間は卵を産まない。けしからん!」というような事を言います。また牛は「私達牝牛は牧草を食べたり水を飲んだりして、毎日ミルクを出している。それを牛乳として飲んだり、チーズやバターに加工したりして、人間の役に立っている。しかし、人間は搾取す...