執筆者 orior | 2026年03月30日 | 雑記帳
知行合一(ちこうごういつ)とは、「知っている」ということは「行う」ということと一つなのだという意味です。例えば「孝」の思いを持てば、とうぜん親孝行が行われます。「忠」の思いを持てば、当然ながら君主のために、命も惜しまず戦うことになります。上記の様に、王陽明は考えていました。一方、朱子学では、「孝」は学問的に探究できる概念ですが、親孝行についてはフィールドワークをすれば、それが出来ているかどうかの実態が分かるので「両者を分けて考えることはできる。」と考えます。要するに、「学んで得た知識と行動は異なるものである」と考える訳です。しかし王陽...
執筆者 orior | 2026年03月26日 | 雑記帳
マルキシズムと陽明学を比べると、「革命思想」という面と「行動を重視する思想」というところは似ているのですが、その開祖にあたる人の考え方はかなり違います。マルクスは19世紀半ばに色々な本を出しましたが、不平不満を中心とする「嫉妬の哲学」がマルキシズムであり、マルキシズムは「嫉妬からの行動学」なのです。確かに、陽明学を学んで乱を起こした大塩平八郎を見ると、確かにややマルキシズムに似たものを感じるかも知れません。しかし王陽明を調べてみれば、マルクスとはかなり違うタイプの人であることが分かるだろうと思います。陽明学の流れは、一時潜伏していまし...
執筆者 orior | 2026年03月22日 | 雑記帳
王陽明は中国の明代の儒学者で、陽明学の開祖となった方です。思想的には朱子学を批判して、南宋の陸象山の「心即理」の説を発展させると共に、心と行いの関連について「知行合一論」を説きました。日本では中江藤樹が、王陽明死後80年くらいしてから生まれて、日本の陽明学の開祖的な立場となりました。1837年に大阪で起きた「大塩平八郎の乱」の首謀者である大塩平八郎は、大坂町奉行所の元与力で陽明学者でもありました。彼はどうしても庶民が苦しむ姿を目を背けることが出来なくて、一揆的な行動に出たとされています。更に、陽明学は横井小楠や佐久間象山にも受け継がれ...