推古天皇

推古天皇

第三十三代推古天皇は女性天皇でした。彼女は聖徳太子の父である、第三十一代用明天皇とは兄妹になります。推古天皇の成した政(まつりごと)の成果は少ないですが、聖徳太子を摂政的な立場に置いたことで、日本は「言霊の幸う国」になったと云われています。推古天皇の夫であった敏達天皇は、第三十代天皇でしたが、天皇継承にあたり様々な政治的権力争いが勃発し、常に命を狙われる緊張状態でした。本来は、能力主義で天皇継承していく事が望まれてはいたかも知れませんが、能力主義の場合は「続かない」ということもあって、血脈で跡を継いでいく形の方が「安定性がある」とされ...
推古天皇

武内宿禰と聖徳太子

武内宿禰は、戦前は有名な方で一円札の肖像にもなっていたので、当時の多くの日本国民が知っていました。しかし、戦後になると「伝説の人」になってしまったようです。現代の「歴史学」が、警察の鑑識が鑑定するような感じで、「文献を精査して本物か偽物かみたいなことをやる」とか言う傾向があり、武内宿禰も、一万円札の肖像だった聖徳太子も、肖像から姿を消すと「居なかった者」とされているようです。自国の歴史に誇りを持っている民族は、なかなか滅びないところがあります。例えばイスラエルみたいな国は、1948年に土地を貰って作った国家です。1900年間、祖国が無...
推古天皇

聖徳太子

現在では「聖徳太子は実在の人物ではなかった」などという学者が出て来るほど、左翼化してしまっている日本ですが、本当に聖徳太子は居なかったのでしょうか?西暦600年頃に聖徳太子が隋の煬帝に宛てて国書を送りました。この時に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや」と書いたとされています。この書を見た煬帝は怒って国書を破り、焼き捨てようとしたらしいのですが、部下に諌められたので、いまだにその顛末を書いたものが残っていたようです。聖徳太子は「憲法一七条や冠位十二階制度を制定したり、その他の様々な改革を行った」とされていますが、今...