仏教における禅宗系は、八正道も使わずに、座禅をするだけでお寺として成り立っています。
禅宗系のお寺の方に「坐禅の時には何を考えれば良いですか?八正道の反省行か何かをしているのですか?」と訊いたら「八正道などの反省もしていません。坐禅中は頭を空っぽにして座禅をしています。」と答えてくれました。
お釈迦様は「心の塵や汚れを落としなさい。」とは言ったかもしれませんが、本当に「頭を空っぽにしなさい。」と言ったのでしょうか。
念仏宗系も「南無阿弥陀仏」(阿弥陀仏に帰依しますという意味)と唱えますが、お釈迦様からすると「私はそんなことを説いたかな。『南無釈迦牟尼仏』(お釈迦様に帰依します)なら分からなくもないが、『南無阿弥陀仏』とは、よその仏を持ってきて、何を言いたいのだろう。」と思われるのではないでしょうか。
このように、宗教は時代を経るごとに変化変遷しながらも生き延びています。
何故なら、時代が変わり、人が変わっても、人間の本性は同じであり、人間が生きるべき道というものは、そう大きく変わるものではないからです。
昔に説かれた教えでも、人間の心に関するものについては通用するのです。
この世の在り方が変わっても、心の在り方は変わりません。
それは永遠にずっと繋がっていくものです。
生活様式が変われば、それに応じた解釈を、その都度新しい指導者が教えなければいけませんが、「心の教え」そのものは永遠に続いていくものです。
「時が経っても変わらないもの」それこそが、私たちの「心の在り方」なのかもしれません。
