西周(にし あまね、1829年〜1897年)は、幕末から明治時代にかけて活躍した日本の啓蒙思想家・哲学者・官僚ですが、彼が多くの和製漢語を作り出し、欧米列強の「日本語の廃止」から母国語を守ったのです。
西周は、1829年石見国津和野(現・島根県津和野町)の藩医の家に生まれました。
1862年からオランダのライデン大学に留学し、西洋の法学・哲学・経済学などを学び、戻ってからは、沼津兵学校の初代校長を務めました。
また、福澤諭吉らとともに啓蒙結社「明六社」を結成し、『明六雑誌』に論文を寄稿。
明治政府に出仕し、軍制の整備や『軍人勅諭』の起草などにも関わりました。
その他、東京学士会院会長、獨逸学協会学校初代校長、貴族院勅選議員などを歴任。
その間、西洋の近代学術を日本に導入し、多くの新しい概念を日本語に翻訳・定着させました。
現在私たちが日常的に使っている、多くの学術用語を「和製漢語」として考案したことでも知られています。
考案した言葉の例として
• 哲学、科学、心理学、論理学
• 芸術、意識、知識、概念
• 帰納、演繹、定義、命題
などがあげられます。
著述は『百一新論』、『百学連環』、『致知啓蒙』などが挙げられます。
彼の和製漢語は、中国にまで渡り、今では中国語の中で和製漢語が使われています。
