仏教の六大煩悩の中に「貪(とん)」があります。
これは貪欲です。
「あなたは欲が深くなかったか」ということです。
これは、自分のことはなかなか分からないのですが、他の人のことだと良くわかります。
「あなたは、その程度の仕事能力で、そんなに出世したいのか。その程度の仕事で、今以上の給料を貰いたいのか」は、他人から見たらすぐ分かります。
「あなたは、その心でその容姿で、そういう人と結婚したいのですか」「そんな勉強量で、そんな一流の学校に行きたいのですか」などと、他人様のことならば良く分かります。
しかし、自分のことになると「これは過ぎたる欲なのか、どうか」が分かりません。
分かるためには、自分の目「自我」があると分からないので、自分の立場から離れてみる「無我」の境地が必要になって来ます。
欲は誰にでもあるものですし、必要なものでもあります。
食欲、睡眠欲、性欲が無ければ、私たち人間は死に絶えてしまいます。
例えば、高校野球の監督やコーチが「甲子園で優勝したい」と思っているとします。
しかし、自分のチームがどのくらい強いのかが分からないままに、優勝する可能性のないチームを、朝から晩までしごきまくったならば、選手たちは皆んな身体を壊して入院してしてしまうことでしょう。
これは、欲が過ぎたために失敗した例ですが、監督やコーチにはそれが分かりません。
自分の欲が過ぎたものなのかどうかは、周りの人たちの反応を、よく見なければなりません。
自分の欲が過ぎているかどうかを知るためには、他の人の反応を見れば良いのです。
「甲子園で優勝したいと言っても、まだまだ実力が伴わない」ことは、周りの人たちから見たらよく分かります。
先ずは、練習試合や地区予選で常勝するくらいの、チーム作りをしなければなりません。
そうして、県大会で優勝し、甲子園へ、そうした段階があるわけです。
「過ぎた欲は、自らの身を滅ぼすばかりか、周りの人たちも不幸にしかねないので要注意である」と、お釈迦様は教えてくれたのでしょう。
