高松城の水攻め

高松城の水攻め

歴史家の長年の疑問として「豊臣秀吉の中国大返しが可能となったのか?なぜ毛利軍の追撃が無かったのか?」は良く挙げられます。明智光秀によって織田信長が討たれたという知らせが入った直後、直ちに毛利氏と和議を結び、秀吉軍2万の軍勢は備中高松から取って返し、約200キロ離れた山城国山崎の地で光秀軍と戦闘しました。その際に重要な伏線的出来事として「高松城の水攻め」があります。秀吉が、備中高松城を水攻めするための堤防工事で、農民などを動員し、「土嚢一俵につき米一升、銀百文」という高額な報酬を与えることにより、わずか12日間で城の周りの沼地に、高さ7...
二兵衛

二兵衛

日本の戦国時代には「二兵衛(にえい)」と言われる、2人の軍師がいました。一人は竹中半兵衛、もう一人は大河ドラマにもなった黒田官兵衛です。二人とも豊臣秀吉に仕えた軍師でしたが、竹中半兵衛の方が少し先輩格にあたります。ただ、黒田官兵衛の方は秀吉を怖がらせた人でもあったようで、秀吉は「わしの後は、若しかしたらアイツに天下を取られるかもしれん。あまり大きな領地や部下を与えたら、反旗をひるがえすかもしれん。」と言って恐れたというような話が残っています。中国の漢の時代に、劉邦が「韓信にやられるのではないか。」と怖がっていたのと、同じ感じを受けたの...