執筆者 西村 | 2024年07月31日 | 雑記帳
李登輝元台湾総督は「日本の思想は、孔子の思想を超えている」と常々言っていたそうです。彼の言うとおり、日本には「武士道は死ぬ事とみつけたり」と山本常朝の「葉隠」に書かれてますが、孔子は論語の中で「あの世の世界」について書いていないし、それを問われたら「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らんや」(未だ、この人生を生きると言うことの意味を分からない自分が、どうして死後の世界の事が分かるだろうか)と言っていました。もちろん死ぬことが目的で生きている訳ではありませんが、日本の侍たちは常に自分の死の事を考えた上で「自分は正しく生きているか?」「他人の人...
執筆者 西村 | 2023年01月10日 | 雑記帳
これは山本常朝が書いた「葉隠」の中にある言葉ですが、ここには「勝っても負けても恨みっこなしよ」という思いもあるのではないかと私は思っております。真剣で斬り合う以上、不具になったり、命を落としたりする事は覚悟の上で、それでも相手を恨まずに、たとえ命を奪われたとしても、恨むことなく成仏する為に、武士道精神が必要ではなかったのではないでしょうか。負けてしまった方が恨みを持っていたら、勝った方は呪われて、それこそたまったものではありません。切腹においても「我、何人も恨まず」と言う思いで、自害した武士は多かったのではないかと推測します。その潔さ...
執筆者 西村 | 2022年11月11日 | 雑記帳
新渡戸稲造氏が書かれた「武士道」は世界的なベストセラーですが、この「武士道」は決して日本人だけのものではない気がします。ケネディやリンカン、ガンジーや劉備玄徳たちも武士道を極めていたように思います。「自らの命を顧みず、自分が正義だと思った使命を貫く」こうした姿に私は武士の魂を感じます。潔い生き方=美しい死この方程式は今ではピンと来ない方が多いと思いますが、偉人賢人はこの方程式を常に心の何処かに置いて、人に接していたような気がします。...
執筆者 西村 | 2022年08月29日 | 雑記帳
もう桜の季節は過ぎ、秋の紅葉へ移ろうとしていますが、まだまだ暫くは暑い日が続くようです。両花とも大好きな花なので、今回は「椿と桜」という題名をつけてみました。椿は散るときに、そのまま花がポトリと落ちるので「首が落ちるようで縁起が悪い」と言われております。そのせいか、映画や小説でも人の命が無くなるときに、椿の花が落ちる様を表現したりします。椿の花が散るときに花全体が落ちるのは、花弁と雄しべが一緒に落花するからで、この散り方が山茶花との違いになります。そうした椿の花を見ると「侍」「武士道」を感じてしまうのは私だけでしょうか。...
執筆者 西村 | 2022年08月25日 | 雑記帳
江戸の中期「葉隠」に書かれた言葉ですが、多くの方々に誤解されて解釈されているようです。「主君のために、大義名分のために命を捨てることが侍である。」と思っている方が今では多いのではないでしょうか?しかし、この言葉を言った肥前国佐賀鍋島藩士「山本常朝」の真意は別のところにあります。...