鎌倉期において、中国の仏教から見ると、比叡山の仏教は本物とは認められていませんでした。
本物の仏教は奈良仏教であり、東大寺の方が本流であるとされていたのです。
東大寺を開く時、中国僧が行って「具足戒」を正式に定めましたが、比叡山の方は具足戒ではなく「菩薩戒」を定めていました。
「具足戒」とは、仏教において正式に出家した男女の修行者(比丘・比丘尼)が守るべきすべての戒律、および教団の一員として認められるための完全な条件のことです。
しかし「菩薩戒」は、大乗仏教の菩薩(悟りを求める修行者)が受けて守るべき、実践的な道徳や戒律のことなので、具足戒に比べて緩い「戒」なのです。
それ故に、比叡山しか得ていなかった道元は、入宋(当時の中国は宋)する際に、正式な僧とは認められず、下船を拒否されたほどです。
比叡山を開いた最澄は、「これからの時代は小乗(自分の悟りを求めるだけの修行)の時代ではない。大乗(広く仏法を教えて行く修行)なのだから、菩薩戒だけで十分だ」と考えていたため、こうした事態が起きてしまいました。
ここに、後々起こる比叡山の根本的問題があったのです。