鎌倉期の比叡山は、仏教を主とした「総合大学化」しており、色々なものが学べる一種の大学でした。
そのような中世の大学で、様々な事柄を教えていたのですが、その中の一つだけを取り出して、「これこそが仏法である」と主張されると困ったことになるのです。
そのため、現在の各宗祖である栄西、道元、法然、親鸞、一編、日蓮たちに「これが真の仏法である」と言われると、あとは偽物のように聞こえるので、宗派をつくることを嫌ったのです。
現代的に言えば、比叡山で修行することを、銀座の寿司屋で修行することに例えるならば、「銀座の寿司屋で修行した職人が、独立したら回転寿司を始めてしまった。」と言う感じでしょうか。
回転寿司は今でこそ流行っていますが、本場の寿司屋からすれば「あんなものは寿司ではない。」と言うに決まってます。
「わしはあんなことを教えた覚えはない。手で寿司を握らないのは寿司ではない。インチキだ。安ければイイと言うものではないだろう。」と言うでしょう。
ただ、こうした回転寿司や牛丼、ハンバーガーなど、全国チェーン店展開をしたものなどは、修行も関係なく、簡単で安いものにするとパーと拡がっていくわけです。
宗教も同じようなところがあって、一定以上の信者を獲得して全国的に拡がれば、ある程度の勢力を持って、比叡山に対抗できるようになるけれども、最初に始める時は弾圧されると言うことです。
そう言うことで、各宗祖たちも比叡山に色々と嫌がらせを受けたと言うことです。