お茶を広めたのは、臨済宗の宗祖の栄西と言われています。
彼は中国に留学した時に、お茶の作り方を学んできました。
中国の禅寺では茶畑を持っていたからです。
お茶を作って飲めば、坐禅の時に眠気を晴らせるという訳で、お茶は貴重でした。
お茶自体は、栄西が広める少し前から入ってはいましたが、栄西が「お茶は坐禅の合間に飲むものだが、身体にも良いし、頭にも良いし、病気にも効く」ということで、『喫茶養生記』を書き、源実朝(鎌倉幕府第3代将軍)にも献上しています。
栄西は、桑の実にも効用があるとして、広めて行きました。
ですので、昔は桑の木があちこちに植えられて、葉は蚕の餌として使われていました。
桑の木は「桑の実は身体に良いし、葉は蚕の餌になる」という事で、「霊木」として大切に扱われました。
そのため、カミナリがなった時には「クワバラ、クワバラ」と言って、桑の木の下に身を隠すと、カミナリが落ちないと言われていたのです。
