知を求めるという事は「死の練習」

知を求めるという事は「死の練習」

ソクラテスが『パイドン』の中で「知を求めると言うことは『死の練習』である」と語っていますが、これはなかなか理解し難い事であると思います。私は「今日死んだとして、悔いの無い生き方をしているかどうか、自問自答して生きろ」と言われている様な気がします。すなわち「あなたは今日死んだとしても『今までの人生を完全燃焼した』と言えるか。『今日一日、十分に使い尽くせた』と言えるのか?」と問われているのだと思います。「死の練習」すなわち「死んだとして、どうだ?」と言うことを自分に問い続けると言うこと、それが結局、真理を求めた生き方になるわけであり、「死...
哲学とは何のためにあるのか?

哲学とは何のためにあるのか?

「哲学とは何のためにあるのか」という問いに対し、今の哲学者は明確な答えを持っていないかも知れません。いや、もしかしたら「答えられない」のかもしれません。もしソクラテスやアリストテレスが生きていたら「善を求めること」と答えたのではないかと私は推測します。「善を求めること」という事が、結局は「幸福の基」であり、「人間が幸福になる」と言うことはどう言うことかと言うと「善を求めて生きる」と言うことに、繋がって行くのだと私は考えます。「善を求めて生きる」その「善」とは何かを探究して行くのが「愛知者の使命」であるのでしょう。「これが善である」と、...