多くの人たちの悩みの大半が「愛が得られないこと」であるように、御相談事をお聞きしていると思えます。
「自分が好きな人に好かれたい」
「もっと多くの人に自分を認めて貰いたい。」
「自分を褒めて貰いたい。」
「自分の会社が多くの人に素晴らしいと言ってもらいたい。」
様々な愛の形がありますが、大きく分けると2つになると言われています。
一つはパトス的愛。
いわゆる情を含んだ愛です。
恋愛を中心とするエロスとは別に、一瞬の感情的な愛、情が中心の愛です。
家族愛、友情、仲間を想う気持ち等、エロスよりは少し高尚な愛です。
もう一つはアガペーです。
これは知性を含んだ愛です。
パトスは「情」にもろく、「可哀想だ」と同情し、ともに涙する気持ちです。
一方、智慧を伴う愛であるアガペーは、その中に「愛の拡大形式」を含んでいます。
「どうすれば愛を広げることができるか?」と言うことに関する、創意工夫を含んでいるのです。
アガペーは、人を指導できる高さを持つ、非常に精神的な愛です。
この愛は、要するに相手を救うことができる愛なので「神の愛」「天使の愛」とも呼ばれます。
クリスチャンはパトス(受難的情感としての愛)の世界で止まっていると言われますが、弱っている人に寄り添い抱きしめる行為は大切な気持ちです。
しかし、「人を向上させる愛」アガペーの大切さも知らなくてはいけないかも知れません。
「今、自分はどちらの愛に偏っているのか?」を知ることで、自分の立ち位置を確認することもできます。
西郷隆盛は「若い武士達が可哀想だ。だから自分の命は彼らと共にあろう。」と思い、反乱軍に加わり西南戦争で自決しました。
彼は情にとても熱く、誰にでも好かれる素晴らしい人物でしたが、智慧が足りずパトスに偏ってしまったため、最期はあの様な形になってしまいました。
きっと欧米諸国を実際に目にしていれば、また新しい日本の為にもっと命を使えたことでしょう。
西郷隆盛の事例をあげるまでもなく、愛を捧ぐにも智慧が必要です。
多くの人に愛を与えたいと思えば思うほど、智慧もより大きく必要となります。
智慧が広がり大きくなれば、もっと沢山の人に愛を与えたくなります。
どちらが先にあるのではなく、どちらも車の両輪の様に、上手にバランスよく、大きくしていくことが大切なのでしょう。