「多くの人たちの役に立つために、個人の欲を抑える」ことが出来れば、リーダーとして成功すると言われています。
その時に、よく例えられるお話が「田んぼの例え」です。
都会ではなかなか田んぼを見る機会が少ないですが、少し都会を離れれば、今でも稲を植えている田んぼを見ることができます。
その田んぼには、大量の水が必要なので「水路」があります。
稲の収穫は、その稲の種類が同じならば、作付面積に比例してお米の収穫量が決まります。
だから、水路に使っている土地も本来ならば稲を植えた田んぼにしたいところです。
しかし、農家の皆さんがみんな、そう思って水路を作らなかったなら、田んぼの水やりは何処からか水を運ぶことになり、大変な作業になってしまいます。
田んぼの畦道も同じように、稲を植えれば収穫量が増えますが、畦道がなくなれば、移動するのに田んぼの中を通って行かねばならなくなり、稲を傷つけたり倒したり、ぬかるみに足を取られたりと、非効率極まりなくなります。
このように、田んぼに水路や畦道を作ることは、一見すると勿体ないように思えますが、多くの田んぼを効率的に収穫するためには、どうしても必要な犠牲の部分でもあるのです。
やはり物事も、この水路や畦道と同じで、誰かがあるいは皆んなが何らかの犠牲や自制心を思って、皆んなのために動かないと、非効率な状態になってしまいます。
高速道路や空港を作る時も、立ち退きを役所がお願いした時、「いや私は絶対に立ち退かない」という人達もいますが、そういう人達も高速道路や空港が出来れば、自分たちも利用するはずです。
やはり、個人の利益を優先することはもちろん大切ですが、それだけでは社会が成り立たないので、田んぼの水路や畦道を作るために努力しているような人達にも、目を向ける必要性もあるのだということを、この例え話は教えてくれています。
