執筆者 orior | 2026年04月12日 | 雑記帳
医者は全体的には、やや心配性の気があります。何故かというと、医学部に入るのは難しいので、何浪もして予備校に通い続けている人が多いのですが、予備校の先生というものは大体生徒を脅迫し「こんな感じじゃ、また落ちるぞ!」と脅してばかりいるので、予備校に何年もいると、強迫神経症のようになってしまう人もでるからです。予備校は一種の「恐怖産業」なので、「落ちるぞ!落ちるぞ!」と言われると、生徒たちは頑張らざるを得ないので、夜も寝ないで勉強するのですが、だんだんと「減点主義」なって行って、ミスを極端に怖がるようになってしまいます。そういった感じで医者...
執筆者 orior | 2026年04月02日 | 雑記帳
相談に乗ってくれるから、その人を信頼するのではない。仕事ができるから、信頼する訳でもない。その人が自分のことを知ろうと、努力していることが分かるから、人はその人を信頼するのでしょう。その人の資産や地位や人徳をみて、その人を信頼するんではないと言うことが分かると、あなたの心も楽になるかも知れません。だって、人の信頼を得るために無駄な努力をしなくて済むから。ただ、その人を心の底から知ろうと努力すれば、信頼を得られることを知ったなら、ただ一途にその人の事を想えば良いですから。...
執筆者 orior | 2026年03月31日 | 雑記帳
日本人の多くが、宗教が嫌いだと言う理由の一つに「宗教戦争をするから」という理由があります。「神が一人であり、自分のところに降りた神が本物であれば、他のところに降りる神は本物ではない。」という理屈は理解できます。例えば、一神教で有名なユダヤ教では、ヤハウェを唯一神としています。しかし旧約聖書を読み解くと、エロヒムという神も出て来ます。またイスラム教も、アッラーの言葉をコーランという形で伝えて、唯一神として崇めています。ただ、アッラーが自分のことを言うときに、「我は」と言うだけでなく「我々は」と複数形で言っているところが何回か出てきます。...
執筆者 orior | 2026年03月30日 | 雑記帳
知行合一(ちこうごういつ)とは、「知っている」ということは「行う」ということと一つなのだという意味です。例えば「孝」の思いを持てば、とうぜん親孝行が行われます。「忠」の思いを持てば、当然ながら君主のために、命も惜しまず戦うことになります。上記の様に、王陽明は考えていました。一方、朱子学では、「孝」は学問的に探究できる概念ですが、親孝行についてはフィールドワークをすれば、それが出来ているかどうかの実態が分かるので「両者を分けて考えることはできる。」と考えます。要するに、「学んで得た知識と行動は異なるものである」と考える訳です。しかし王陽...
執筆者 orior | 2026年03月29日 | 雑記帳
肉体を持って生きている私たちは、病気はどうしても避けられません。その時に、重症になれば病院に行きます。病院で治療を受けて、やがては元の通りの健康体にもどります。魂も病に罹ります。色々な物質的な誘惑に翻弄されて、自分の良心を失うこともあるでしょう。周りの人達の、心と身体を傷つけてしまうこともあるでしょう。そうした魂が行くところが地獄という病院です。悪霊、悪魔は「病院が自分のすみか」だと、思い違いをしている人達のことを指します。「この病院は俺のものだ!俺が支配してやる!仲間を増やして勢力を拡大してやる!」そう思って頑張っている人達です。「...
執筆者 orior | 2026年03月28日 | 雑記帳
インドネシアのバリ島では、バロンダンスという民族的な演劇が行われています。民族神である善神バロンと、悪魔の化身である悪神ランダが出てきます。そして「善神、真なる神であるバロンの力と、悪神すなわち悪魔であるランダの力とは対等で、決して決着がつかない。善神と悪神が永遠に戦い続ける。」という思想が描かれています。この考え方は、中東ではるか昔に説かれたゾロアスター教においても「光の天使オーラマツダと悪神の戦い」として描かれているテーマと同じ感じです。確かに人類史を見ると、常に善なるものと悪なるものが闘争し続け、決着がつかないようにみえてしまい...